戦前より学校対抗として、歴史的に鹿児島市民に親しまれていた同大会を、 観光業界関連若手有志によって鹿児島の夏と錦江湾を活かした観光促進イベントとして復活。
県外参加者を対象に「桜島・錦江湾横断遠泳大会」「指宿菜の花マラソン」「霧島サイクルジャンボリー」 の3競技に参加して鹿児島・指宿・霧島の3地区に宿泊していただこうと願いを含め 「鹿児島県観光平成トライアスロン賞」を設定。多くの県外参加者が3競技へ参加
海外から参加の8選手のみが台風通過後敢行し、 ドイツの新聞に大きく取り上げられ、海外に大きくアピール。
岩元恭一大会副会長作詞による大会賛歌「夢をあきらめないで」と鹿児島出身宮原晃一郎作詞による大会歌 「われは海の子」のCDを製作。
大会名誉会長に、元日本水泳連盟 古橋廣之進氏が就任。
第10回記念の国際大会を日本最大規模で開催。
インターネット、英文での大会募集要項も作成し、海外へ向けてさらに情報発信。
日本テレビ「ウリナリ・ドーバー海峡横断部」の人気タレントチームの参加に、到着地点の磯海岸には約7千名の応援があり大成功を収める。
「ちびっ子水泳教室」は講師に金メダリストの岩崎恭子選手を迎えて開催。
中学生チーム“ウォーターメイツスイムクラブ長崎”が団体種目過去最高記録の57分08秒で優勝。
前年の全国放送の影響で2,000名以上の申し込みが殺到。止むを得ず県内参加者は抽選。
前年度優勝チームの‘ウォーターメイツスイムクラブ長崎‘が46分39秒の過去最高記録で二連覇。
北海道からのボランティア参加等が話題になる。
保岡法務大臣の参加や薩摩に伝わる古式泳法神統流のデモンストレーションが注目を浴びた。
なお、競技は男子チーム“ウォーターメイツスイムクラブ長崎”が55分59秒で三連覇を達成。
途中リタイヤのチーム以外は、全て制限時間内にゴール達成するという好成績を残した。
鹿児島青年会議所が、伝統ある本大会を途絶えさせてしまうのは、鹿児島の街づくりを考えたとき、失うものが余りに大きいと感じ、新たな実行委員会設立のため諸団体に働きかけ、大会復活の運びとなった。
20回目という節目の記念大会。安全体制をより強化。
1チームに1人アテンダント制を導入。絶好の天候に恵まれ開催。
安全対策の強化をはかり準備万端であったが、雷注意報発令を伴った天候不良のため中止。
参加チーム定員数を100チームから150チームへと拡大して開催。
初の試みとして桜島フェリーを貸し切って前夜祭を実施。150チームが参加。絶好の天候に恵まれ開催。
参加チーム定員数を150チームから165チームへと拡大。特別出場枠として小学生チームが参加。
安全性の精度を上げるため、再び参加チームを150チームとして開催。
直前に九州北部豪雨が起こり、参加出来ないチームもあったが、晴天のもと開催することが出来た。
150チームが参加。大会の安全性を特に重視するとともに、会則・大会ルール・緊急時の対応などをHP上に掲載し、誰でもいつでも確認できる体制を整えた。
大会復活10年目。更なる知名度向上及び情報公開を図るべく、大会Facebookページを作成。
一般成人150チームと選抜小学生5チームの合計775名の参加者が県内外から日本ジパークにも認定された桜島・錦江湾に集う。
また、前夜祭も「かごしま一心祭」と銘打ち、鹿児島市民を巻き込みも視野に入れ、鹿児島市中央公民館で開催予定でしたが、天候不良により止むを得ず中止。
遠泳大会に参加しない方へも興味をもって携わっていただこうと、参加者とボランティアが着用する大会記念Tシャツのデザインを公募する企画を実施。また、今後の大会の永続的な大会開催を視野に、安全面の充実を図りながら成人150チーム、選抜小学生5チームの合計775名を募集して開催する予定だったが、天候不良により止むを得ず中止。
30回記念大会として、仙巌園にある反射炉跡を含む旧集成館事業跡が明治の産業革命遺産として世界遺産に登録されたことを含め、鹿児島の桜島・錦江湾の素晴らしい魅力を今後も継続的にPRすべく、初の試みとしてドローンを使った撮影、録画公開を予定していたが、天候不良により止むを得ず中止。